2021-8-7 0A「お盆」

公開日時:2021-08-10 14:29:37 / 放送局:FM87.0 RADIO MIX KYOTO / 番組タイトル:RADIO MIX KYOTO 京ごよみ

京都の人が楽しめる京都の旅を、京都の旅のプロにナビゲートしてもらう「京ごよみ」の時間です。今日ナビゲートしてくださるのは、洛を旅する株式会社らくたび代表の若村亮さんです。よろしくお願します。 8月に入りました。暑さは7月も下旬と変わらずという感じなんですが、昔で言うと旧暦の8月と言いますと葉っぱの月と書いて葉月と呼んでいる月なんです。これは本来であればもうちょっとね季節が進んだ9月の下旬から10月ぐらいを昔は旧暦の8月として、ちょっと葉っぱが色づいてくる月であることから葉月という名称になったという説なんかもあって、昔の暦と今の暦がだいたい一か月以上ずれていますので、今葉月と言いますと一番暑いこの8月上旬を表してしまいますけれども、本当だったら秋が深まった涼やかな頃を旧暦の8月葉月として、いろんな伝統行事を行ったということなんですよ。この葉月8月の一番代表的な年中行事と言いますと、皆さんのご自宅でもご先祖を供養するお盆という行事をされると思うんですよ。正式には「盂蘭盆」というんですよ。 もともと仏様にまつわる仏教行事というのは、海の向こうのインドや中国から伝来してきた伝統行事になりますので、日本の言葉ではなくて、向こうの大陸の言葉が実はただ単に日本語になっているだけというものが多いんですよ。この盂蘭盆っていうのは、元々は今のインドとかネパールのあたり、古くはサンスクリット語という言葉がありまして、サンスクリット語で「ウランバナ」。これがご先祖の魂を供養するという行事だったようなんです。「ウランバナ」が中国に行きますと漢字にあてますので「盂蘭盆」という漢字にあてられて「ウランバナ」が転じて今は「盂蘭盆」で、我が国では略してお盆お盆で呼んでいるんですよ。だからお盆の盆というのは確かに物を乗せて運ぶためのお盆のことなんですけども、ほんとはね「盂蘭盆」という盆という漢字がそのお盆の盆と書いていたんですけども、ご先祖様のお仏壇の前にご先祖様が好きだったものをお盆に乗せて飾ることからお盆という行事の名称が定着していったとも言われているんですよ。 このお盆の時って各地でいろんな伝統行事があるんですけど、京都では特に昆虫を捕まえてはいけないという習わしがあったりするんです。これ地域性があったりご家庭によって違いがあるかもしれませんけれども、一般的に昆虫を捕まえてはいけないというのがね昔から伝えられているんですよ。何故かと言いますと先ほど言いましたようにもうちょっとお盆というのは本当は秋の始まり、涼やかな9月下旬から10月の頃をこの8月お盆として先祖の魂を供養していたんです。今みたいに真夏にこういうお盆という行事があったわけでは昔はないんですよ。ちょうど秋口になりますと、トンボが飛び初めて、トンボ、羽根がついた昆虫はご先祖様が西の彼方、極楽浄土から飛んでこの世に帰ってきているとみてとられまして、ということは昆虫捕まえる、トンボを捕まえると、ご先祖様が帰るべき所に帰られなくなりますから、ちょうど秋口から飛び始める特にトンボなどを捕まえてはいけないと、いうような習わしが今も伝えられているということなんですよ。トンボ(蜻蛉)は、我が国では、よく皆さんも見かける昆虫だと思うんですけども、実は漢字を書くとね虫偏に色の青という字をちょっとよく似た字なんですけど、もう一つは虫偏に今の元号、令和の令と書いて、トンボと言いまして、ちょっと難しい漢字なんですけども、これ虫偏とるとねあおい令と書いて精霊と読みますから、つまりご先祖の魂のことを精霊と言いまして、トンボ(蜻蛉)言葉自体にご先祖の魂を意味するような精霊という言葉が少し重ね合わせられているということなんですよ。ですからご先祖の魂を意味する精霊という言葉がトンボについて精霊トンボ(蜻蛉)がいたり、もうひとつ昆虫のバッタにもショウリョウ(精霊)バッタという方がいますよね。羽を広げ飛んできますので、こういう秋の始まりの頃に山向こうから飛んでくるようなトンボとかバッタにご先祖の魂を重ねて、ご先祖様が帰ってきた、ということで供養してお盆という、ご先祖様を供養する時間を過ごしたということなんです。 だから昆虫を捕まえてしまうと、御先祖様が帰るとことに帰れなくなりますから、とってはだめよ、という習わしが生まれたと考えられているんです。 でも子ども達にとっては今の時期が一番、今の子どもたちはあまりしてない子も多いかもしれません。それでもやっぱり子どもにとって夏の楽しみの一つは昆虫採集だと思いますので、それを我慢してでもご先祖様に思いを馳せる、これがお盆の伝統行事だということなんですね 。 そういう形でお盆になりますと皆さんこの世とかあの世について思いを馳せて、一つはこの世でしっかりといいことをしてれば亡くなった後に、いい世界に行けるんだ、という考え方が昔からあるんですよ。悪い行いをしていると、例えば亡くなった後に地獄に落ちるとか、こういうことも言われてきたわけで、過去が現在につながって現在がまた未来に繋がっていくという、ぐるぐるぐるぐると私たちは輪廻と言いまして、生まれては亡くなり、生まれては亡くなりを繰り返しているという考え方なんですよ。 特に仏教の中では六つの世界がこの世にはあるという考え方があるんです。今私たちは人間の道と書いて「人間道」という世界に生きているんです。人間が暮らす世界で、楽しいこともありますけれども、やっぱり時に苦しい時もありますね。悲しみがあったり、こういう喜びと苦しみ、こういうものがたくさんあるのがこの人間の世界なんです。でももしここで良い行いをしてこの後、次の世界に極楽のような「天上道」という世界もありまして、そこに行くとより苦しみが少なくなって楽しい事ばっかりの世界が待っているですよ。でもこの今の人間の世界で嘘ばっかりついていると今度は「地獄道」に落ちて、よく「阿鼻叫喚」といいますけど、煮えたぎる湯の中に投げ込まれたり、針の山を歩かされたりという、痛みを伴うという地獄の世界「地獄道」に落ちると言われているんですよ。 さらに食べ物に卑しいことしていると「餓鬼道」という世界に落ちまして、「餓鬼道」に落ちると、どんな食べ物もすぐに口に含めようとすると、炎となって消えてしまうんです。24時間365日空腹に苛まれるという「餓鬼道」という世界が待っているんです。 人と揉め事ばかりすると「修羅道」という世界に落ちまして、24時間、常に戦いとか諍いに巻き込まれて、心に安らぎのない「修羅道」が待っているんです。 動物をいじめると「畜生道」という、私たち自身が人間にこき使われる畜生になってしまうんです。 このように今の行いが来世につながるという考え方から、六つの世界があるとされまして、「人間道」「天上道」「地獄道」「餓鬼道」「修羅道」「畜生道」この六つの世界がこの世には存在していると考えられているんです。 その各世界の曲がり角、つまりこの世とあの世の境目を「六道の辻」と言いまして、六つの道と書いて「六道」。これが六つの世界に通じる曲がり角で、その「六道の辻」が京都にあるんですよ。昔の京都でいいますと盆地の真ん中に平安京の都ができましたので、都の中は生きる人が暮らすこの世で、しかし亡くなった人は都の外の山ふもとに葬られます。となると例えば東山では、清水寺の麓あたりに鳥辺野という墓地があって、となると鴨川の西の都がこの世、鴨川を越えて東へ行くと山麓にあの世があるんですよ。ちょうどすると、この世とあの世の境目あたりが出てきまして、これがちょうど「六原」という地域なんです。「六波羅蜜寺」というお寺があったり、またあの世に通じる井戸があるという「六道珍皇寺」というお寺があって、」六道珍皇寺」では毎年8月上旬に、ご先祖様を迎えるという、あの世に繋がる井戸がありますので、その移動を通じてご先祖様がこのように帰ってくるということで、例年ですと8月7日から10日まで4日間にわたって「六道まいり」というお精霊さんを迎えるという行事が行われます。 同じく北の方の葬送地、亡くなった人が葬られる、蓮台野という場所がかつて船岡山の近くにありまして、そこから京都千本通りの今出川からちょっと北の方に行きましたところに、この世とあの世の境目が昔あってね、それが「千本閻魔堂」と言いまして、閻魔様がそこにいらっしゃって、あの世に私たちを送ってくださるということなんですよ。 よく閻魔様ってなんか恐ろしい姿をしてますから地獄の閻魔さんっていますけど、これ実は地獄の閻魔様は正確ではなくて、本当は地獄に行くかどうかが判決される裁判所の裁判官。これが実は閻魔様で、良い行いしてる人は「そちは天国行きじゃ」と言ってくれますから、やましいことが無い人は、閻魔様は全然怖くないんですよ。でもやましいことがある人は、地獄や修羅道や畜生道などに落とされ裁判で判決がくだりますから恐ろしい姿に見えてしまうんですよ。 ですからやっぱり今生きている時にしっかりと良いことを積んであの世に旅立つことが大切だというのが昔からの考え方で、特に地獄の恐ろしい絵図なんかを子ども達は昔見せられてねこのお盆の時に、やっぱり悪いことをしたらダメなんだ、と思って行いを直して行ったという、やっぱ良くも悪くもお盆というのはご先祖様を考えて、私たち自身の生きるとか死ぬということも考えたりと、いい機会だったようなんですね。そして今を振り返って良い行いへと変えていくと。そういう教えが今でも脈々と京都で受け継がれておりますので、また是非そういう意味で お盆という期間を過ごしていただくといいのかなと思うんですよ。 このようにしてお迎えをして供養して、再びご先祖様の魂をあの世に送る、そういう行事が行われるのが8月16日の夜に京都の夜空に明かりが灯される五山の送り火という伝統行事になるということなんですよ。 御先祖様が道迷わずに帰れるようにと夜空に「大」の文字ですとか、「妙法」、「船形」、「左大文字」、「鳥居型」と申しまして、西へ西へとご先祖様のあの世は西の彼方の極楽浄土にありますので、東の方の山から順番に西へ西へと灯すんです。 ということで、送り火を焚いて、ご先祖様を供養するという伝統行事がこの8月に行われるということなんですね。送り火ですと、昔から杯に大の文字を映して飲み干すと、体が健康になるとか、いろんな言い伝えがありますので、今年はちょっとまたコロナの影響もあって、完全な形での明かりを灯さずに、それでもしっかりと各山ともに明かりを灯してご先祖様をするということになっておりますので、その明かりを見て、また今年のお盆という時期を過ごしていただいたらと思います。 今日も素敵なお話をありがとうございました。

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